近頃、パートナーの転勤に帯同するため自身のキャリアを変えなければならない女性が増えてきている。果たしてキャリアは分断されてしまうのか。今回は異国の地でしなやかにキャリアを進めている3名の女性にインタビューを実施し、彼女たちのキャリアに対する考え方の本質に迫る。
Aさん(30代/米国東海岸在住/UIデザイナー)
Bさん(30代/中東在住/英語・日本語教師)
Cさん(30代/米国東海岸在住/マーケティング)
- 会社を辞めなければならなったことで、自分がなにをしたかったのか見極められた
- 自分の夢を追いつつ、環境に合わせてキャリアを選択すればいい
- やりたいことが明確にあるわけではないけれど、とにかく将来の可能性を狭めたくない
- キャリアの進め方は十人十色であることを実感できた
会社を辞めなければならなったことで、自分がなにをしたかったのか見極められた
Aさん(30代)は夫の駐在に伴い米国東海岸に住み、フリーランスとして日本で担当していた仕事を継続しながらUI(ユーザーインターフェース)デザイナーとして活動している。帯同前は情報通信業界のUIデザイナーを4年ほど経験した後、自身で手を動かす時間を増やしたい気持ちからスタートアップへ転職。
その後、コロナ直撃により事業が不安定になり、再度転職。転職先のコンサル企業でデジタル部門のデザイナーとして昇格した直後に夫の海外転勤が決まった。
当初は、昇格したばかりで仕事が楽しく、2年程度キャリアが切れてしまうことに怖さを感じ、日本に残ることも考えたと言う。しかし、上司にその旨を率直に相談すると、帰ってきてからでもいくらでも仕事はあると励ましてくれた上に、担当していた一部の仕事を米国でできるように社内で初めてフリーランスとして契約してくれた。社内で評価してもらえていたからよかったが、海外で日本の企業と仕事ができないか探しておけばよかったという後悔もある一方で、パソコン一つあれば仕事ができる職種であることはポジティブに捉えていた。
そんなAさんと話していて印象的だった言葉がある。
「会社を辞めたことで自分がなにがしたかったのかを見つめる機会ができた」
フリーランスとなり、会社という盾をなくしたいま、心が自由になり兼ねて興味のあったアパレルブランドを手伝い始め、さらに夏からはデザインの勉強をしに北欧への留学も検討中だと言う。昔から面白いと思ったものに飛びつき、所謂”川下り型”の人生を歩んできたAさん。今後は自身の興味のある、ファッションや美容、音楽の分野に自身のデザイナーとしての強みを掛け合わせ、一つの生活基盤を作りたい、と話す屈託のない笑顔の奥にはAさんの強い芯が垣間見えた。
自分の夢を追いつつ、環境に合わせてキャリアを選択すればいい
Bさん(30代)は夫の駐在に伴い中東へ引っ越し、現地で英語や日本語を教える教師をしている。帯同前は日系のグローバルメーカーで物流や経営をサポートする仕事をしていた彼女はどんな経緯で語学教師となったのだろうか。
Bさんは、幼少期を海外で過ごした経験から英語に興味を持ち、大学で教職免許をとるも教育機関で働くことと自身のやりたいことにギャップを感じ、悩んだ末にメーカーに就職し社会人生活をスタートした。そして副業可能な職場だったことが幸いし、元々興味のあった英語教師という夢を叶えるため小学生に英語を教えていた。
夫の帯同が決まり中東での生活が始まったのは社会人を8年経験したころだった。当初は、休職明けになにかスキルを持ち帰らなければ、という焦りがあり、会計などの経営知識を学んでみたが、興味と合致せずなかなか続かなかった。そんなとき、同じ駐在先に帯同してきていた先輩から“フルタイムで働くのだけがキャリアではなく、その時々に合わせてキャリアを選択するのもいいのでは?”と助言をもらい、好きなことだけをやろうという意識に変わったという。そのときに思い浮かんだのが、語学教師。現地で教えるために必要な資格を取り、オンラインも駆使しながら英語や日本語を教えているそうだ。帯同前からやりたいことが自分の中で明確だったこと、そして副業でやりたいことに直結する現場を経験できていたことが異国の地での挑戦への自信になったそうだ。
そんなBさんに今後のキャリアプランについて聞いてみると、「今後のことはそのときになって考えればいいや」と素敵な笑顔で答えてくれた。
やりたいことが明確にあるわけではないけれど、とにかく将来の可能性を狭めたくない
Cさん(30代)は夫の駐在に伴い、現在米国東海岸に在住しながらフリーランスでインハウスマーケティングを担当している。
Cさんは大学を卒業後、外資系の広告代理店で主に営業として働いていた。しかし、帯同が決まると、日本でやり残したことの一つである結婚相談所での業務を経験し、その後渡米した。就労VISAを取得するのに半年かかるため、日本のイベント会社の仕事をフリーランスとしてリモートで請け負っていたCさんは、はっきりとこう言う。
「正直バリバリ働いきたいわけではないんです」
もともと専業主婦になることに抵抗がなく、帯同による渡米も抵抗は全くなかったそうだ。そして今後も博士号取得のため朝から晩まで勉強している夫を支えるため、バリバリ仕事をするつもりはないと言う。
それでも渡米が決まった際、転職エージェントに何度も「帰国後キャリアを戻せるのか」と相談すると、"駐妻”に対する世間の固定観念がまだ強いことを知り、将来の選択肢を狭めることを回避するために日本で担当していた仕事をフリーランスとして活動することにした。
一方で、米国に住んでみると現地では大卒のキャリアは日本で言うと高卒に近い感覚だと言い、修士や博士を持っている人が相当数いることに驚いたと言う。このまま日本に帰国せず海外に住み続ける可能性もあるなかで、自身の可能性を狭めない選択をしたかったので、フリーランスかつフルリモートで、現地企業でマーケティングの仕事をしている。
そんなCさんは今回インタビューの依頼をした際、「私はバリキャリのタイプではありません」とはっきり言っていた。だが、やりたいことが明確にあるわけではなくても、将来の幅を狭めたくないし出来ることはなんでもトライしてみたい、好奇心旺盛でしなやかな女性だった。いつか子どもができたら仕事はセーブしつつ子どもとの時間を大事にしたい、そうはっきり言っているCさんのお話を伺い、勇気を貰った。
キャリアの進め方は十人十色であることを実感できた
今回、このテーマを執筆したのは私自身のある原体験からだ。私が結婚した時、仕事で米国に駐在していた夫に帯同するため、今いる会社を一度辞めようと思ったことがある。当時、帯同しても復職できる制度があったため、それを利用しようと思っていたのだが、その会社以外に戻れないのではないか?現地で働けるスキルがなければキャリアは止まってしまうのではないか?と人生の選択肢を狭めてしまうことへの不安が一気に押し寄せた。結局夫はすぐに帰国することとなったため帯同には至らなかったが、以降“キャリアに柔軟性を持たせること”が自身のキャリア観の軸になっている。参考までに、当時パートナーの転勤帯同問題に直面していた私が実践した自己分析のポイントを紹介する。
①現状を知る(外部環境と自分)
・会社に復職制度はあるのか、ある場合何年間有効なのか確認する
・退社しキャリアを中断させた後にブランクを経て復職した人を探す
・現地で働く場合どんなスキルが必要で自分には何が足りていないのか分析する
・自分のマーケットバリューを転職エージェントで確認する
②将来のありたい姿を考える
・夫の任期が復職制度の期間を超過する場合、転職したいのか、先に帰国し復職を優先したいのか想像してみる
・キャリアとプライベートをどんなバランスで過ごしたいのか夫婦で話す
・挑戦したい仕事内容や働き方の優先順位を考えてみる
③現状と将来ありたい姿のギャップを埋めるために必要なアクションを棚卸する
・社外でも通用するスキルや知識を獲得するために勉強する
・定期的に自分の価値を社外からの視点で確認する(転職エージェントなどを利用する)
未来の不確実なことをいくら考えても結論が出ないのは確かだが、思考を一旦整理し自分の現状と将来ありたい姿のギャップを知り、選択肢を狭めず柔軟性を持っていたいという軸に辿り着けたのは私にとって大きな収穫だった。
そんな思いをもとに、今回3名に協力頂き話を聞いてみたが、キャリアに対する考え方、道の進め方が多様である一方で、住む場所や仕事の内容が変わっても強い軸を持ち続け、全員がしなやかに輝いて生きていることがわかった。社会全体で女性の活躍や多様な働き方が求められている今、本コラムが読者の皆さんにとってキャリア観を考え直すきっかけになれば嬉しい。